体験談

ママカフェ体験記10

体験記10(ちかこさん)4初めての出産。育児。
皆さんは毎日が楽しくて、キラキラしたものだったでしょうか?
私にとってはただただ、心がどんより曇るものでした。

 

10月に出産。
2か月くらい実家で里帰りをして、家に戻ったとき、雪国・秋田では雪が降り積もっていた。
暗くて、寒くて、雪の多い冬。

 

当時は旦那の実家で義父と同居。(現在は別居)
1階部分は義父のスペース、2階の二部屋が私たち家族のスペースという環境だった。

 

一日のはじまりは朝5時前に一人起きて、部屋のストーブをつけて回り、
家中が寝静まっている間に駐車場の雪かきと車の雪下ろしを1時間程度。
いつも同じ時間に起きて、台所に立ち、自分のことをする義父に配慮しながら、
座る居場所もなく、温まる居場所もなく、急いで旦那のお弁当作り。
子どもが起きてしまうと一息つく間もなく、おっぱいをあげて…旦那を見送り。
(そういえばこのころは朝ごはんをどうしていたんだろう?)
子どもが寝ている間に最低限の家事。
寒くて汚れたトイレを掃除しながら「自分はトイレを掃除するために結婚したんだろうか」と
涙を流すこともあったり、なかったり。

 

ささっと自分の支度をして、荷物をまとめて午前中のうちに実家へお風呂をもらいに出発。
(旦那の帰宅時間が遅いのと、古い家のためお風呂場も脱衣所もあたたかくする術がなく、
同居のため自分が裸で部屋まで走ることもできなかった)
雪道を恐る恐る運転して、実家でようやく一息。

 

子どもを実家に預けて買い物へ。
買い物のほか、銀行に役所に…とアレコレ用事を足しているうちにいつもより遅くなってしまい、
2時間後に帰宅すると母からもらう「遅い」「子どもが待っているのに何をしてるんだ」と
叱責の言葉と泣き続ける子ども。

 

帰宅すると、子どもを車に乗せ暖気したまま、部屋にストーブをつけ、
荷物を下ろすとまず駐車場の雪かき。
子どもを部屋に移して、寝てくれている間に1階で夕食の準備。
泣き声が聞こえると火を消して2階に駆け上り、あやす。
なんとか寝かしつけて1階に戻ると台所は義父によってストーブが消され、片づけられている。
冷えた台所に再度ストーブをつけて夕食作りを再開。

 

 

旦那が帰宅し、お弁当への評価をもらう。
「おいしかったよ、ありがとう」と声をかけてくれることが多かったはずなのに、覚えているのは・・・
「今日、インスタントの味噌汁入れ忘れてお湯だったよー」
「揚げ物にソースかけるの忘れてたよ」「箸が入ってなかったよー」
今だったら笑い話にできるけど、そのときは笑えなかった。
笑えないくらい追いつめられてて、一人でため込んで、受け流すこともできずどろどろしてた。

 

体験記10(ちかこさん)1旦那がお風呂に入ってから、子どもと一緒に1階でごはん。
精いっぱい作ったおかずに義父は手をつけず、
自分で用意したものしか口にしないことも多々あった。

 

晩酌をしてTVを見ながらゆっくりする義父と旦那。
二人を横目にとりあえずものを口に入れ、
子どもを見ててもらっている間にお風呂に急いで入り、
子どもと一緒にさっさと寝る。

 

義父からは「一緒に暮らしているのに、孫を見せてくれない」と不満を言われた。

 

 

 

おっぱいの出が悪いこともあり、夜、子どもはよく起きた。そして大きな声で泣いた。
その声でも旦那は疲れていて起きれなかった。
「子どもを泣かせすぎ」と判断する義父が寝る1階へはもちろん降りれず、
狭い部屋で一人悪戦苦闘した。
抱っこして子守唄を謳ったり、スクワットしたり、
見よう見まねのベビーマッサージもベビーダンスもした。
そして、時計を見るとまた雪かきに出なければいけない時間になっていた。

 

旦那が休みの日の前日。とある日。
「明日は休みだから」「普段の疲れがたまっているから」と旦那はたくさんお酒を飲んだ。
2階で子どもを見ててもらって、お風呂に入ると、止まらない子どもの泣き声。
「何事か?」と思い、シャンプーの泡をつけたままバスタオルを巻きつけて、
階段を駆け上がると、泣いて叫んで訴える子どもの横で大いびきの旦那。
涙をこらえながら子どもを抱きかかえた。

 

悲しかった、辛かった、苦しかった・・・孤独だった。

 

自由に眠れないということがこんなに苦しいということを知らなかった。
自分がこんなにマイペースな人間で、自分のペースで動けないことに悩むなんて思ってなかった。
旦那と子育てについてこんなに意識に違いが生まれるものなんて知らなかった。
育児がこんなに大変なことなんて誰も教えてくれなかった。

 

疲労困憊。

 

きっとその時の自分はその言葉を体現していた。
体重は妊娠前よりもだいぶ減り、風邪もひきやすくなった。
乳腺炎からくる高熱や、肩こりからくる頭痛でたびたび寝込んだりもした。
実家が近く、その間お世話になり、そしてそのたびに小言をもらっていた。

 

気持ちが不自由なのと、家計が苦しくなってきたのが限界で子どもが5か月の時に働き始めた。
家の仕事が減るわけではないから、体力的には辛くなったけど、
誰にも責められずに一人になれる時間がうれしかった。
世代の違う人などいろんな人と話をしたり交流できるのが楽しかった。
そして、そう思ってしまう自分は母親に向かない人間なんだと気が付いた。

 

働くことで、なんとか気持ちを保って過ごす中で迎えたイヤイヤ期。
生まれた時から激しい性格の子どもは、自己主張も入って大変なことになった。
気に入らないことがあると泣く、叫ぶ、ものを投げる、叩く。
保育園の同じクラスの子には見られないくらい激しかった。私には扱いきれなかった。
「どうしてうちの子だけ・・・」と子どもはかわいいのに、かわいいと思えず、
子育ては全く楽しくなかった。

 

子どもが病気になった時、実家に預かってもらうと
「そろそろ○○したほうがいいんじゃない?」「母親がそんなのでどうするの」
「母親なんだからもっと○○しなさい」と心配からの小言をもらっては自分の胸の中に降り積もっていった。

 

ある日、まだ遊びたくて「保育園から帰らない」と騒ぎ立てる子ども。
心身ともに疲れ果て叱る気力もなく、そのままにさせておいたら、
保育園の先生に「泣き叫んでもいいので、早く連れて帰ってください」と注意された。
遊んでいる子どもを大声で叱りつけ、力づくで抱え上げ、
半ば引きずりながら帰路につくと案の定、子どもは気の狂ったように大泣きした。
車の中で自分も声も上げれないくらい、汚く泣いた。

 

「自分のしたい子育てってこういうことなのか?」
「自分はこんなに怒ってばかりの人間じゃなかったはずなのに」

 

隙間時間で子育ての仕方について、いろいろ書籍やインターネットで調べた。
理想論、経験論、感情論・・・子育て論もいろいろあるけど、自分の中にストンと落ちず、
その中で偶然出会ったのがキム兄のブログだった。

 

書かれている毎日には、家族への接し方が愛情たっぷりで、でも押し付けはなかった。
子どもへの対応にびしっと一本筋が入っているのが見えた。
自然と「自分もこんな風に子育てしたい」と思った。

 

「キム兄の話を直接聞きたい!」そう思ってはみたものの、会場は東京近郊が中心。
参加のために先立つものも、東京に出向く勇気もなかった。
ブログを読んで、真似できるようなことを少しずつ実践はしてみた。

 

それでもやっぱり子どもは相変わらず激しくて、自分の旦那への期待が大きすぎて
不満がパンパンに膨らんで、いつでも弾けそうになっていった。
離婚も考えたし、口うるさい実家からも、できることなら子どもからも逃げたくなってた。

 

そんな日々の中で職を変え、新しい出会いがあり、
自分の環境が変わったおかげで得るものもあった。
一番大きかったのは、セミナーなど学びの場に行くこと・県外へ出かけることへの
抵抗の消失だと思う。「気になる」と思えば、ひとりで行くことにためらいや不安はなくなった。

 

そして知ったママカフェ@仙台の開催。
どうしても行きたかった。そして、どうしても旦那にも一緒に参加してほしかった。

 

 

体験記10(ちかこさん)3旦那は子どもが大好きだった。
けれど、子どもの世話は面倒くさがった。典型的な父親。
普段の疲れもあり、世話のやり方がわからないというのも
あると思うけれど、やるべきことに気付けなかった。
自分が親にされたように子どもを怒鳴りつけて
(時には叩いて)しつけようとした。
そして、とてもまっすぐな人だから、
子どもへの対応だけでなく、会社の中でも自分と違う意見を
なかなか受け入れられず、見ていて仕事の人間関係でも
心をすり減らして苦しんでいるように見えた。

 

 

 

あのころ、家庭でも子育てでも、仕事でも・・・
「理想」と「現実」の折り合いが私も旦那もつけられず、
ギスギスする関係になっていたように思う。
子どもへの愛情もたっぷりあるのに、日常では怒鳴って、叱って、手を上げてしまう。
だからこそ、旦那と一緒にキム兄の話を聞いて感じたいと思った。

 

もともと「お勉強」アレルギーで、机に座って話を聞くことに抵抗のある旦那。
でも、お酒は大好きな旦那。
で、会場は仙台。
そう!私の強い味方になってくれる「国分町」がある仙台!

 

「たまには子どもを預けて二人で仙台に行こう!国分町で飲もう!
そして次の日、ちょっとだけ私に付き合って講演を聴こう!
午後は私だけ勉強してくるから、その間は好きに過ごしていいよ!」

 

そうして迎えた仙台旅行。
楽しく食事して、買い物して、もちろん国分町で飲んで、夜更かしして。
翌朝はカフェでモーニングなんてしちゃったりして・・・ママカフェへ。
当たり前というかなんというか、やっぱりママが大半を占める会場に旦那はちょっと萎縮気味。
でも、始まってみると夢中になってる!メモまでしてる!!
キム兄の話は私にとっても染み渡るもの。でもそれ以上に旦那の反応がうれしかった。

 

帰り道、旦那といろいろ話ができた。
講演のこと、子育てのこと、仕事のこと。
これから一緒に頑張っていくことをゆっくりと言葉にして確認し合うことができた。

 

そして、変わった。

 

私。
子どもの激しさを「特徴」としてとらえ、かわいいと思えるようになった。
子どもが引き起こす数々の事件を目にして、カッと怒鳴りたくなるけれど
「○○だったんだね」と気持ちを先に受け入れるよう努力するようになった。
イライラしはじめると、自分の満たされていないものは何かを振り返って、
解消するように努めるようになった。
「待つ」ことを実践しはじめた。相手を「変え」ようと思わなくなった。

 

そして子ども。
それまでよりも外遊びが大好きになった。
自分で考えるようになった。
行動を選択するようになった。
まだまだ時間はかかるけど、自分の気持ちを整理する方法を身に付けられたように思う。

 

 

体験記10(ちかこさん)5そして旦那。
旦那の変化が一番大きかった。
慣れないながらも、子どもと関わって遊ぶ時間を
とってくれるようになった。

 

子どもと自分との違いを認められるようになった。
相手を責めなくなった。

 

もちろん完璧でなんてないし、疲れてくると感情に任せて
ガーッと怒鳴ったりしているときもあるけれど、
自分の理想を見据えて行動しているのが分かる。

 

 

 

家族みんなが一歩ずつ一緒に過ごすと楽しい状況を作ろうと変わっていった。
まだまだ小さな一歩で、失敗したり、自己嫌悪になったり、フォローしたりされたり。
でも、確実に心持ちが変わった。

 

 

その後、様々な縁が重なって、その秋にキム兄を秋田にお呼びし、
ママカフェ@秋田を開催することができた。

 

時間の関係上、コンパクトにまとめた簡素なものではあったけれど、
参加してくださった方々はみんな何かを感じてくれたようだった。
一緒に参加した旦那が未だに力説するように
「キム兄が話をする前、こわばっていたみんなの表情が、
終わった時にはパーッと明るくなっていた」
様子を目の当たりにして、とてもうれしかった。

 

そして縁が縁を繋ぎ、2015年4月にRaku*ikuが生まれた。

 

私は子どもが扱いの難しい子で本当に悩んだ。
夫婦の意識の違いで苦しんだ。
けど、そのおかげで知ろう・学ぼうと思って行動した。
そして状況が変化し、家族の絆が深まった。夫婦の絆が強くなった。
次々と新しい縁が結ばれた。

 

子どもが笑っている。
旦那と子どもが遊んでいる。
何気ない毎日がしあわせだと感じる。
今までの人生で一番安心して、行動できているように思う。
妊娠し、結婚し、出産し、子育てをするという選択をしたからこそ今の自分がある。
何か一つが欠けていても違ったことになっていたんだろうな。

 

子どもに感謝。
旦那に感謝。
キム兄に感謝。
支えてくれるみんなに感謝。

 

そのままにしておくと薄れてしまう感動も学びも、同じような悩みを抱える仲間がいるからこそ
一緒に振り返ることができる。

 

子どもは今年4歳。そしてお腹の中にも赤ちゃんが。
私の子育て生活はまだ始まったばかり。

 

子どもの激しさや拘りはまだ強いし、自分の感情を自分で収めることが難しいようだけれど、
出来ることがどんどん増えている!
旦那も自分を知って、理想に近づくために変わろうと努力している!

 

家族が1人増えると今の生活とまた変わってくると思うけれど、
私も少しずつ自分の出来る範囲を伸ばして、笑顔で過ごせる家族を作っていきたい。

体験記10(ちかこさん)2